壬申の乱で大海人皇子軍に神託を授け勝利に導いた神
延喜式内社 旧 式下郡 蔵堂
祭神:経津主神(フツヌシノカミ)・武甕槌神(タケミカヅチノカミ)
室屋大連神(ムロヤオオムラジノカミ)
大伴健持大連神(オオトモノカケモチオオムラジノカミ)
経津主、武甕槌二神は春日四神の内の二神であることから、春日神社とも言う。
大連二神は壬申の乱(672)に、吉野軍の将として活躍し、功績が高かったため、天武5年に合祀される。
この森屋郷は、古くは、室屋郷とも室原郷とも言い、室屋大連の神は、この地の出身ではないかと考えられる。
この神社は、元は大宮から200mほど東、初瀬川の川べりに鎮座されていたが、南北朝時代に兵火に会い、神領を没収せられ、社地を縮小せざるをえなくなり、本殿を守るような形で、前に向い合せの型で遷された。
幕末から明治の初めには、廃仏毀釈があり、仏教的なものは取り払われた。今二座が鎮座するところは、神宮寺であった新楽寺の鐘楼跡と言われ、この鐘楼に吊られていた梵鐘は、現在堺市立みはら歴史博物館に展示されている。
壬申の乱に功績のあった三神の日本書紀の記述では、高市の事代主神、身狭の生霊神と二神は神名まで表記されているが、村屋神は地名だけ、神名がない。弥冨都姫は女神なので、村屋神とは軍神である村屋神社の二神(経津主神・武甕槌神)ではないかとも思われる。
武甕槌命、経津主命は、大地震を防ぐ防災の神として知られています
江戸時代、地震は地中にいる大ナマズが暴れて発生すると考えられていました。その大ナマズが暴れ無いように、押さえつけたと言われる石棒を「要石」(かなめいし)と言い、武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)が、この石棒(要石)を用いて大地を揺るがす大ナマズの頭を武甕槌命、尾を経津主命がしっかりと押さえて大地震を防いでいると伝えられています。
毎年のように各地で自然災害が発生しております、その中でも特に備えるのが難しい地震除けの村屋神社へ参拝してみてはいかがでしょうか。