村屋神社の大祓式は、拝殿の前の庭に青竹(忌竹)を四方に立てた結界がつくられ、正面に直径2mくらいの茅の輪が置かれます。まず神主を先頭に茅の輪をくぐり、氏子総代、参拝者と続いてくぐっていき結界に入ります。参拝者は白紙で作られた「人形(ひとがた)」に息を3度吹きかけて、半年間の罪穢れをここに移します。神主の大祓いの祝詞が奏上された後、約1.5cm角に切った麻(紙で代用)と紙垂をつけた茅(かや)で自身を祓い清め、終わると三宝に移します。最後にその年の恵方に当たる箇所の結界を切って、使い終わった茅の輪、忌竹、人形、麻、爪を神社の東側を流れる初瀬川(大和川)に流し祓い清めて終了です。
古くから現代に引き継がれてきたこの神事には、暑く厳しい奈良盆地の夏を無事に過ごしたいという古人の素朴な願いが込められています。
茅の輪くぐりの由来
奈良時代に編集された備後の国風土記によると、次のようなことだそうです。
日本神話の中で、ヤマタノオロチを倒した素盞鳴尊(すさのおのみこと)が、南海の神の娘と結婚するために、南海で旅をしている途中、蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来 (こたんしょうらい)という兄弟のところで宿を求めたところ、弟の巨旦将来は裕福であったにもかかわらず宿泊を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は貧しいながらも喜んで厚くもてなしました。
その数年後、再び蘇民将来のもとを訪ねた素盞鳴尊は「もし悪い病気が流行ることがあった時には、茅で輪を作り腰につければ病気にかからない」と教えられました。
そして疫病が流行したときに巨旦将来の家族は病に倒れましたが、蘇民将来とその家族は茅の輪で助かったというのです。
この言い伝えから「蘇民将来」と書いた紙を門にはっておくと災いを免れるという信仰が生まれました。
茅の輪も当初は伝説のとおり小さなものを腰に付けるというものでしたが、しだいに大きくなって江戸時代初期になり、大きな茅の輪をくぐって罪や災いと取り除くという神事になった。というのが由来です。
※豆知識PRESS引用
茅は草の矛、雑草のように見えて神聖な刀剣と同じ力を持つ存在
茅とは、単子葉植物イネ科チガヤ属の植物で、沖縄から北海道まで広く分布し、群生する広線形の葉が特徴の50cmほどの雑草である。古くは茅葺き屋根の材料として茎葉を乾燥させて使ったり、チマキを包む梱包材として利用したりしていた。なお、チマキの名前の由来は「茅巻き」からきているという説もある。
それにしてもなぜ茅で穢れ祓いができるのだろうか。正直あまりありがたみを感じない、何の変哲もない雑草である。
実はその起源は中国にある。中国では古くから茅は魔除けとして、また神前に備える供物として使われてきた。漢字の「茅」の文字は、「草の矛」という意味を持つため、葉の持つ矛のような形状が、強力な神威の現れだと考えられていたからである。
この茅を神聖な物として扱った記述はいくつか残されている。例えば、中国最古の歴史書である「書経」には「包むに白茅を以ってす。茅は其の潔を取る」とあり、神前に捧げる供物の器に使っていたことがわかる。また周の時代の礼法を表した書物「周礼」には「祭祀。肅茅を共なう」とあり、祭礼の供物としても使われていたことが伺える。
日本でも古来より、矛をはじめ、剣や太刀などの刀剣を、魔を祓うアイテムとして神事に使用してきた。神前に大太刀を奉納する習慣も、多くの神社で行われている。また、スサノオが出雲国で「八岐の大蛇」を退治した際に、尾から出て来た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は三種の神器の一つで、熱田神宮の御神体になっている。このように日本においても刀剣は神聖な物であり、剣状の葉をもつ茅も同じように神聖な力を持つと考えられていたと思われる。
※LIFULL HOME’S PRESS引用