奈良県磯城郡田原本町蔵堂426番地鎮座
主神:三穂津姫命
配祀神:大物主命

延喜式内大社で、旧県社、大神神社(オオミワジンジャ)の別宮(※)といわれていた。
日本書記によると、主神 三穂津姫命(ミホツヒメ)は、高皇産霊命(タカミムスビノミコト)の姫神で大物主命(オオモノヌシノミコト)が国譲りをされた時その功に報いるためと大物主命の二心のないようにという願いから、自分の娘を贈られたという神話に出てくる神です。またその時に高天原から3本の稲穂を持って降りられ、稲作を中津国に広め国を豊かにした『内助の功』にあたる神でもあります。
これらの故事等から縁結びの神、家内安全の神、商売繁盛の神として信仰され、大物主命は大神神社の祭神で、その妃神(キサキカミ)を祭っていることから、大神神社の別宮とも称せられています。
かつて、この地では正月の大とんどで大神神社と村屋神社の火種子をもらって帰り、めおと(夫婦)火とし、それで雑煮を炊いて1年の家内安全を家族で祈願していたという習慣が残っていました。また大神神社(夫神)と村屋神社(妻神)を両方お参りすることでいっそう利益が得られると謂われています。

「延喜式」神名帳 式下郡に村屋坐弥冨都比賣神社・村屋神社・久須須美神社・服部神社が記載されており、天武天皇元年(673)壬申の乱のときに「村屋神」が22代当主 室屋喜久麿にのりうつって「わが杜の中を敵が来る。社の中つ道を防げ」と大海人皇子方の大伴連吹負将軍に軍備に対する助言をし見事勝利に導いた。この功績によって神社として初めて位階を皇室(天武天皇)から賜ったと日本書紀に記されています。
その後も何度か位を賜り現在正一位森屋大明神の呼称が残っています。
壬申の乱の功を後世に伝えるためにこのとき功のあった三神を回る御渡が秋の例祭に行われていました。三神とは村屋神を祭る村屋神社(境内摂社)、事代主命を祀る久須須美神社(境内摂社)、生雷神を祀る森市神社(境外摂社)です。

天正の頃(1580年頃)信長方の松永久秀と十市氏の戦に巻き込まれ、戦火に遇い社地を奪われ財源がなくなり、一時神事祭祀は中絶していたが、慶長4年(1599年)52代神主大神 守屋政重によって、現在の規模に縮小して再興を果たしたとされています。

※厳密には異なりますが、古来より氏子崇敬者から親しみを込めていわれていました。