延喜式内社
祭神 天香語山命(あめのかぐやまのみこと) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 二柱
由緒
岐多志奴神社は村屋座彌富都比売神社の北北西約400mの大宇伊与戸と大宇大木の間にあり、楠、欅、大樹の鎮守の森に西面して、大正8年の石鳥居か建ち、境内に南面して、拝殿と二柱の本殿がある。本殿は、石基壇上に、二殿並び建ち、板葺、銅板で覆う春日造で、本殿の前に、神明造の石烏居か建つ。
この神社の祭神天香語山命の名は、石凝姥命とも呼ひ、天児屋根命と共に、鏡作座天照御魂神社と同じ、石疑姥命・天児屋根命を祀屯る。この地域の祖の物部大木連一族に、鏡作連の祖、鍛冶師連があり、「岐多志太」は「鍛冶帥田の萬菓仮名文宇の表記か。大木に「カヂヤカイト」「カンヂチャウ」の小字名かあり、これらに関わる地名か。又、天香語山命は天ノ岩戸神話で天照大御神を岩戸から出すのに歌舞音曲を用いた事から、芸能の神とされ、この大木に「フエノキ」「ツツミウチ」「ヒョシダ」の小字名があり、雅楽に関連する地であったのではないだろうか。
大正10年 「岐多志太神社由緒」奈良女子高等師範学校教授 水木要太郎 編
平成8年9月28日 「岐多志太神社拝殿造営記念」大字大木自治会・岐多志太神社 守屋広尚文書より
この神社の旧社名は、太根命であったが、明治7年(1874)の神仏分離令の時、式内社岐多志太神社となった。岐多志太神社は崇神天皇7年の鎮座と伝えられている。(明治12年 大和国式下郡神社明細帳)
拝殿は、大正10年(1921)に三間半×二間と従来の二倍以上の規模に改築された。
所在地:奈良県磯城郡田原本町伊与戸143
村屋神社社務所にて令和2年4月15日より頒布いたしております